赤嶺メモ(1)~決定論と自由意志~

 

 

赤嶺メモとは

赤嶺メモでは、僕が考えたことを忘れないようにまとめておこうと思います。読む価値はほとんどないです。

 

今回のテーマ~決定論と自由意志~

皆さんは『100分 de 名著 』というテレビ番組をご存知ですか❓

これは「名著とされている著作を、25分×4回の100分間で専門家の先生にわかりやすく解説していただく」という番組です。NHKで毎週月曜日午後10時25分から放送しています。4回で1冊の本を解説するので、1ヶ月に1冊ずつ進んでいきます。ちなみに、2021年1月にはマルクスの『資本論』を取り扱います。

www.nhk.or.jp

 

僕は毎週この番組を見ており、先月の名著『ディスタンクシオン』の放送回を見て、「そういえば高校1年生のとき仲村君が決定論と自由意志について考えているとか言ってたな」と思い出し、僕も考えてみることにしました。

 

ディスタンクシオン』と決定論

2020年12月の100分 de 名著で扱われた『ディスタンクシオン』は、フランスの社会学ピエール・ブルデューの著作で、「我々の人生は環境に規定されるんだ」ということを「趣味」に注目して論じたものです。

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ディスタンクシオン


私たちは「趣味」について、自分の興味のある・好きなことを自分の意志で選んでいると思いがちですが、ブルデューの研究によると、我々の趣味は育った環境や周りの人間関係、経済状況などによって決定されているのです。例えば、僕は「ビデオゲームで遊び、漫画を読み、アニメを観」ますが、「ゴルフをし、ピアノを弾き、絵画をコレクションする」ことはありません。僕の置かれた環境では、これらの趣味に興味を持つこともなく、それをするだけの経済力もないからです。このように、「趣味」の選択においては、自分の意志よりも環境の影響の方が強いわけです。

では、趣味以外の分野はどうでしょうか。ブルデューは趣味にとどまらず、「全ての人間の行為」が環境に規定されると言いました。日々の食事や学校の成績、職業選択など、様々な人間の行いは環境に規定されており、そのような社会構造の中で階級や格差が生成されていくのです。これは「俺が成功したのは俺が努力したからだ、お前が失敗したのはお前の努力が足りなかったからだ」という”自己責任論”に一石を投じるものであり、まずはこの前提を共有した上で格差をなくすようなシステム作りを議論しようという提案です。

 

ここまでの説明で、『ディスタンクシオン』が”決定論”を描いたものであることがわかったと思います。確かに”決定論”を支持することで自己責任論を否定し、格差のない社会づくりを進めることができるのかもしれませんが、私たちの人生が決まったものであり、私たちの意志による選択の余地がないとしたらつまらないですよね。僕はそんな人生を歩みたくはありません。では、決定された人生から逃れるにはどうしたら良いのでしょうか。

 

東浩紀弱いつながり』&『観光客の哲学』と自由意志

自由意志について考えるにあたり、高校1年生の時に読んだ弱いつながりと『観光客の哲学』という2冊の本を思い出しました。これらは批評家の東浩紀さんの著作で、まさに「決定された人生から逃れるにはどうすればよいか」を論じたものです。

先に結論を述べると、「環境を変えることで私たちは自由になれる」と著者は主張します。「我々の人生が”環境”に規定される」のであれば、環境を変えてしまえばいいというわけです。そこでキーワードとなるのが「検索ワード」「弱いつながり」「誤配」「観光客」です。

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『弱いつながり』と『観光客の哲学』



 

「検索ワード」について

皆さんは、普段どんなことを検索しますか❓

検索エンジンGoogleは利用者のデータを大量に集め、分析し、AIに学習させることで、利用者の好みを推測し、それに合わせた広告を表示しています。検索履歴を分析するだけで、その人の性格、生活リズム、経済力、住所などがわかるそうです。

これって「趣味」についてブルデューが論じたことと同じですよね。私たちの置かれた環境によって「検索ワード」が決定されているわけです。つまり、環境を変えて新たな検索ワードを探すことが、決められた人生から逃れる鍵になるのです。

 

「弱いつながり」について

今回取り上げた著書のタイトルにもなっている「弱いつながり」という言葉は、アメリカ合衆国社会学者マーク・グラノヴェッターが主張する"The strength of weak ties"(弱い紐帯の強み)という説に基づいたものです。これは人間関係において、「家族や親友のような強いつながりよりも、単なる知り合いのような弱いつながりのほうが重要である」と主張します。職業選択において、家族や親友よりも、単なる知り合いのつてで得た職のほうがうまくいきやすいという調査結果によるものだそうです。この「弱いつながり」を大切にすることで人生に選択の幅が生まれ、決定された人生から逃れる手掛かりになりそうです。

 

「誤配」について

誤配とは、郵便配達において、荷物が届くはずの場所ではなく、別の場所に誤って配達されることです。東浩紀さんは、この「誤配」のような概念こそが大切なのだと言います。哲学では、ある言葉が概念として独自の意味で用いられることがよくあります。ここでの「誤配」が意味するのは「偶然の出会い」のようなものです。本来ならば会うことのないような人に偶然出会う、本来ならば手に入らないような情報が偶然手に入る、というようなことが起きたとき、それらにはあまり気を取られることなく、無視するのが普通でしょう。しかし、そうした「誤配」を受け取り、大切にすることで人生の可能性が広がるのです。つまり、あまり興味がない話にも耳を傾けたり、普段なら絶対に行かない場所に行ってみたりして偶然性に身をさらそうということです。

 

「観光客」について

では、実際に検索ワードを探し、弱いつながりを築き、誤配を受け取るにはどうすればよいのでしょうか。その方法のひとつとして東浩紀さんが提案するのが「観光客」的な振る舞いです。観光客は新たな環境を求めて旅をします。そして、その旅は外交のように責任が伴うものではなく、楽しみのための旅行です。観光客は様々な場所に行き、様々な人と関わり、様々な関心を持ちます。そこでは以前は調べなかったようなことを検索するし、なんとなく知り合いもできるし、偶然の出会いがたくさんあります。このように、観光客的な振る舞いによって環境を変え、決定された人生から逃れ、大きな可能性を手に入れることができるのです。

 

終わりに

さて、ここまで決定論と自由意志について考えてきました。僕は、「人生は環境によって規定されるが、偶然性に身をさらすことで環境を変え、自由な人生を歩むことができる」という結論に至ったわけですが、仲村君はどのように考えたのでしょうか。いつか聞いてみようと思います。

この記事を書いて、改めて様々なことに挑戦しようと思いました。皆さんも、偶然の出会いを大切にすることで豊かな人生を送ることができるはずです。

それではまたいつか👋