恋愛観その2

どうもこんにちは高菜です。
まさか自分でもあの記事の続きを書くことになろうとは、思いもしてなかったです。
深夜テンションって怖え。

前回の記事は私がひたすらにお花畑状態でしたが、今回は冷静につらつら語っていくだけになります。
私の恋愛対象の話等も含みますので、自分語りが苦手な方はブラウザバック。



……さて。恋愛観の記事を書いてからというもの、私のメンタルはどん底状態でした。
高校の時以来の失恋を経験してなんで私って生きてるんだろう、状態でしたね。

この時の自分を振り返るとなんて浅はかなんだろうと思いますね。
別に相手は何もしてないのに。
自分は1人で舞い上がって、傷ついて、馬鹿らしい。

確かに辛かったけれど、向こうの方にもっと辛い思いをさせてしまったことが一番の後悔です。
迷惑ばかりかけてしまって、結局話しづらくなって、前のような普通の先輩後輩の関係に戻りたかった、と今でも強く思います。

でもこの経験を社会人でしていたら、さらにしんどかっただろうし、大学生のうちに経験出来てよかったかもしれないですね。
今まで失恋しかしてないけど……
…湿っぽい話はこの辺で終わりましょう。


さて、突然のカミングアウトにはなりますが、私はLGBTQのうちのB、Qです。
これに気が付いたのはごく最近の話でそれまでは異性愛者だと思ってました。

確かに高校の時にも女友達の浴衣姿を見てドキドキしたり、この子だったら付き合いたいな、と思うことはありましたが、決定打になるような事は今まで無かったのです。

決定打があったからこそ、今自分がバイだということに気が付けている訳ですが、それに関しては省略。察してくれ。

結局何が言いたいか自分でもよく分からないのですが、別に誰かがLGBTQだからといって腫れ物に触るようにしなくてもいいんじゃないかなって改めて思いました。
社会全体の風潮がやはり私はどうも苦手です。

私は前回の恋愛で、周りに何度も「人として」あの人が好きだ。と相談してきました。
別に男だからでも、性的な感情があるからでもなんでもなく、人として。
本当に好きな人が、たまたま身体的に男だっただけ。それだけです。




でも、周りは「男」と「女」という枠組みで見ようとする。
私はこの雰囲気に違和感を抱き続けてきました。

あの失恋を経て、自分の身体的な性別に固執する意味ってあるのかな…??と本格的に悩み、その結果、今の時点ではバイセクシャルとクエスチョニングとしています。

こんなことを言いながらも、親などにそれを伝える勇気は無いですがね…如何せん前時代的な考え方の親なので。(ゲイカップルが映画などで出てくると平気で気持ち悪いとか言っちゃう系の)

寝ぼけた頭じゃ何も纏まらないですね、
ジェンダーに関してはほんと卒論とかにしたいレベル。転学部してえ。


私はやはり「人として」好きな人とお付き合いが出来れば良いなと思っています(?)
ではまたどこかで。